日本のWEBは残念
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編): 岡田有花,ITmedia
ウェブ進化論で書いたような世界というのは、あれは理想郷であるとか空想であるとか言う人もいるよね。日本語圏のネット空間はぜんぜんああなっていない、と。「ウェブはバカと暇人のもの」によると、(ウェブ進化論は)「頭のいい人の世界だ」という。
ウェブ進化論の中では「総表現社会」という言葉を使っている。高校の50人クラスに2人や3人、ものすごく優れた人がいるよね。そういう人がWebを通じて表に出てくれば、知がいろんなところで共有できるよね、というところまでは書いている。
そういう、「総表現社会参加者層」みたいなのが、人口比で言えば500万人とか出てくると。少なくとも英語圏ではそういう層が分厚くて、そこがある種のリーダーシップを取っているわけだよね。
今の日本のネット空間では、そういう人が出てくるインセンティブがあまりないわけさ、多くの場合。「アルファブロガー」的なものも、最初のうちにぽーんと飛び出した人からそんなに変わってないじゃないですか。それが100倍、1000倍になり、すごく厚みをもって、という進展の仕方と違う訳じゃない。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045_3.html
僕はそういう人間だよ。ハイブロウなものが好きですよ。それはしょうがないじゃない。
それは否定しないよ。僕はそういう人間だからね。でもね、本当はできる人が「できない」と言う文化は嫌いですね。本当はできる人が「自分はダメである」といってみんなと仲良くせざるを得ない日本の社会というのは嫌いですよ。
高校生でも中学生でも、勉強ができる子が「できる」と言わない。頭のいい子は隠れる。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/02/news062.html
個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚
もっとぶっちゃけた極論を言えば、こういうことだ――どうせ構造をつくるような雄々しいことはできないんだから、暇つぶしにいろんなことをやってみようよ。
そうやって日本の世間には権力側には行けないバカと暇人があふれ、枕草子を書いたり源氏物語を書いたり、歌舞伎や浄瑠璃や私小説を生み出してきたのだ。
もちろんそうやってバカと暇人の膨大な集合体のなから、歴史に名の残るような芸術を生み出せた人はごくわずかである。たいていのバカと暇人は、先駆者の作ったコンテンツをただ消費するだけだったり、すばらしいコンテンツを揶揄して皮肉るだけだったり、バカだ荒らしだと批判されながら、衆愚の道をつねにまっしぐらに進んでいった。日本人が衆愚化しているのなんて別にいまに始まったことではない。江戸の昔から、歌舞伎オタクに身を持ち崩して財産を失い、乞食になって死んじゃうようなバカはいくらでもいたのである。
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2009/06/09/entry_27022912/
日本のウェブは遅れているのではなく、急速に進みすぎたのではないかという仮説:徳力
特に英語圏というのは、英語を母国語とする国以外から、英語でコミュニケーションをすることができるエリート層が集まってくるわけで、アメリカのネット環境も案外ナローバンドから徐々に進展していたとか、ブロードバンド環境は結構高いとか、いろんなものを考えると、英語圏では日本人が思っているより、一部のエリート層とかギーク層から順々に、徐々にネットが普及しているという面が強いのではないかと思えてきます。
一方、日本においてはブロードバンドの普及とか、識字率の高さとか、一億総中流と呼ばれる中流層の分厚さとか、夏休みから日記に慣れ親しんだ文化とか、皆さんが書かれているようないろんな背景もあり、2004年前後から始まるブログブームで一気にエリートも芸能人も大衆も何もかも、2〜3年でブログに流れ込んだイメージがあります。
(何しろ、「ブログ」は2005年ですでに流行語大賞になっていて、受賞者は鬼嫁日記の作者だったわけです)
更にそれが、日本独自のケータイ文化とか、モバイルブロードバンド回線のおかげで、芸能人のように生活に密着したレベルで日々ブログをする人たちまで、出てきていますし、ケータイ小説のような独特の文化も生まれているわけで。
ネット選挙が禁止されていたりという背景も手伝って、日本のブログは英語圏におけるエリート層のメディア的なものを飛び越えて、一気に日記的、ライフログ的なものが中心の世界になったのではないかと見ることができると思います。ただ、そう考えると、実はこのテキストによるコミュニケーションとか情報発信の(質は別としても)頻度とか、生活への密着度という意味では、日本はこの数年で英語圏の普及のスピードを逆に追い抜いてしまっているのではないかと思えてきたりもします。
その一方で、昨今の若年層の就職難とか、いろんな問題があって、例の「ウェブはバカと暇人のもの」(まだ読んでませんが)と呼ばれるように、お金はないけど時間が大量に余っている人が先に日本のネットの中心になり、衆愚化が起こりやすい環境になってしまったという見方もできるわけですが。
これって、今後、大不況に見舞われた英語圏でも同じことがおこらないとは言い切れない気もします。そう言う意味では、diggの衆愚化の話のように、実は日本のウェブサービスが抱えている課題とか苦悩みたいなものは、英語圏よりも先行した問題なのではないかと見ることもできるのではないかと思うのです。